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相模原知的障害者施設やまゆり園・歪んだ暴走を止める手段はなかったか

社会・メディア
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2106年、神奈川県相模原市の知的障害者施設・津久井やまゆり園にて、前代未聞の大量殺傷事件が起きました。

被告である植松聖はその後自首しましたが、当時より独自の主張で犯行を正当化し、それは事件から2年経過した今も一貫して変わってないようです。

この事件は、被告が精神科に措置入院し、退院後に起こしたものでした。

何らかの支援や関わりがあれば犯行は止められたのか?

考察してみたいと思います。

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相模原・知的障害者施設やまゆり園事件の概要

この事件は、2016年7月26日深夜、神奈川県相模原市にある知的障害者の入所施設「津久井やまゆり園」にて起きたものです。

事件の被害者は45人。

うち19人の入所者が亡くなり、重軽傷者は26人、戦後最悪の大量の犠牲者が出る事件となりました。

事件を起こしたのは、この施設の元職員の植松聖(当時26歳)。

自宅から持ち出した包丁数本に加えて、結束バンド、ハンマーなどを購入し、職員が少なくなる深夜帯2時頃を狙った計画的な犯行でした。

施設の職員だった被告は、施設内の構造を知り尽くしていたと思われ、裏口から敷地内に入り、入所者の居住棟の窓ガラスを割って建物に入り込みました。

そして勤務していた職員を結束バンドで縛り、その目の前で就寝中の入所者を次々と刺していったという凶行に及んだのです。

異変に気づいた職員が、その日は非番だった職員に連絡を取り、連絡を受けた職員から警察に通報があり事件は発覚しました。

被告の計画では、もっと大量に襲撃する予定でしたが、難を逃れて部屋に閉じこもった職員がいたことから、通報を予想したのか中断して一旦は逃走しています。

しかし、当日午前3時すぎに、所轄の警察署に自ら出頭し逮捕されています。

事件の動機

植松被告は、以前より、重複障害者が家庭内で生活、社会的活動が極めて困難な場合は、保護者の同意のもとに安楽死できることが目標と述べていました。

「障害者は不幸を作る存在」「意思疎通取れない人間は心失者であり、生きていても仕方がない」という考えを主張していました。

2016年2月には、犯行予告とも言えるような手紙を衆議院議長あてに書いて、わざわざ手渡しに行っています。

その手紙は、「私は障害者総勢470名」を抹殺できる」「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為」「見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡を取れなくする」「2つの園260名を抹殺した後は自首する」といった、今回の犯行の計画とも思えることが書いてありました。

また、「逮捕後は監禁最長2年まで」「心神喪失による無罪」「新しい名前(伊黒崇)、本籍、運転免許証等」「美容整形」「金銭的支援5億円」などという妄想じみた要求もしていたようです。

精神鑑定

植松被告は、2016年9月21日~2017年2月20日まで精神鑑定を受けています。

その結果、「自己愛性パーソナリティ障害」の診断で、刑事責任能力ありにて2月24日に起訴されています。

*精神鑑定の参考記事

鑑定留置中の脱走で思う精神科閉鎖病棟のセキュリティ

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植松聖被告の人物像

植松被告は教師の父と漫画家の母という環境の中、一人っ子で育っています。

勉強もでき、バスケットボールなどのスポーツにも励み、優しい少年時代だったようです。

しかし、大学生になって性格の変化が見られるようになります。

刺青を入れ、2010年くらいから大麻や危険ドラッグにも手を出していたようです。

そして、家庭内でも荒れていたのか、母親らしき女性の泣き声などが家から聞こえるようになり、やがて両親は植松被告を家に残し、引越しして出て行ったようですが、その理由については明らかにはなっていません。

植松被告は、自宅で一人暮らししながら大学を卒業し、運送業者やデリヘル運転手などの職を転々と変わりながら、2012年12月に、事件の舞台となる知的障害者施設・津久井やまゆり園にて非常勤勤務を開始します。

そして翌年には常勤として採用されています。

植松被告は、やまゆり園にて2016年2月まで約3年あまり、正規職員として勤務しています。

薬物による言動の異常にて精神科に入院

しかし、勤務態度にはいろいろと問題があったようです。

やまゆり園の入所者への暴行、暴言などで指導されることも複数回あったようです。

2016年2月18日、同職員に対して障害者の安楽死について強く主張し、翌日、施設側から警察に通報。

他害の恐れありとして、精神保健福祉法23条に基づき北里大学東病院へ緊急措置入院の運びとなりました。

*入院形態についての参考記事

長男を檻に25年監禁し逮捕 精神病の子供を持つ親の苦悩

入院と同時に植松被告は知的障害者施設・やまゆり園を自己退職しています。

さらに、尿中から薬物反応が出たことにより、措置入院をそのまま継続し、3月2日、他害の恐れがなくなったとして退院になっています。

薬物に関して、2015年6月頃に、刺青の彫師の元で修行をしていたようですが、言動が異常でドラッグの使用が濃厚と気づいた彫師からその年末に破門されています。

精神科の措置入院は、そう簡単に適用することはない入院形態です。

過激な発言があったというだけで、普通は措置入院になることはないので、言葉だけでなくよほど様子が顕著に異常だったのだろうと想像します。

彫師からドラッグを疑われ破門になった2015年の時点で、かなり危険な状態が見て取れたのではなかったのでしょうか。

それで勤務していたことにぞっとします。

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あくまでも犯行の正当性を貫く

勾留中の植松被告はメディアとさかんに接点を持ち、手紙のやりとりなども頻回にしています。

そして事件から2年過ぎた今も、自分の犯行は正しかったという主張は変わっていないようです。

唯一、被害者の遺族など、被告の中で健常者という分類になる人達に対し、事件に巻き込んだことについては謝罪していますが、知的障害者である被害者のことは、「人間ではないとわかり一安心した」と述べています。

事件後、被害者の氏名は公表されず、追悼式に遺影がない事情に対し、亡くなった障害者が人間として扱われていない証拠と考えている、と言っているようです。

ただ、事件前に衆議院議員に送った手紙の中にあった「自分は心神喪失で無罪」との主張はしてないようです。

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植松被告に対して一部理解者もいる

相模原事件が起きた時、あまりの大胆さかつ残虐さ、そしてそれが元職員による犯行ということで世間は大騒ぎになりました。

そして、送検される植松被告の様子も、薄ら笑いを浮かべている異様な表情などが注目を集める要素になりました。

しかし、一方で、殺人はいけない、植松被告の犯行を肯定するわけではない、としながらも、気持ちがわからないでもないという意見もあるようです。

「障害者は税金の無駄遣い。植松聖に感謝」とする、本当か嘘かはわからない、被告を英雄視するような極端な意見もあります。

しかし、実際に同じような施設で働いた経験のある人、あるいは現在そのような勤務をしている人の中には、

「家族もほとんど寄り付かないし連絡しても迷惑がられる。生きていて幸せなのかと思うこともある」

「職員は安い給料で丸投げされ、障害者は手厚く守られる。大変で割り切れないこともある」

「障害者は全て心が美しいわけではない。」

「きれいごとではない。何をされても我慢して受け入れることにストレスがたまる。二度と働きたくない」

などという意見もありました。

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精神科退院後の支援があれば事件は起きなかったのか?

被告が措置入院をしていた経緯から、その退院について、不備があったことが問題視されました。

北里大学東病院には薬物依存に詳しい医師はおらず、退院後のフォローについて検討がなされなかったことや、退院後の環境についての調査やその支援がおろそかになっていたことなど、相模原市の対応も不十分だったことなどが指摘されています。

実際に、2月に緊急措置入院し、薬物依存も判明したにも関わらず、翌月には1人暮らしの環境に退院させていることに疑問を感じずにいられません。

厚生労働省は、措置入院後、警察も関与させての「退院後支援計画」を義務付けようとしましたが、それは患者の監視強化であるとして、障害者団体からの反対の声が強く、結局は成立しませんでした。

しかし、措置入院になるということは、自傷他害の恐れがある患者です。

退院にあたり、何らかの関わりを義務付けて、注意深く観察していく必要はあるのではないかと思います。

監視という言葉にすれば人権問題かもしれませんが、それは本人の支援になるはず。

植松被告の中に芽生えた、知的障害者に対する偏った思い込みは、そう簡単に変えられなかったかもしれません。

しかし、心の中にあっても行動に移すことさえしなければ、人の命は奪われることもなかったし、それでよかったはずです。

植松被告がエスカレートし誇大妄想を発展させたのは、薬物の影響も受けているでしょう。

長年かけて形成された歪んだ人格と薬物への依存が、たった1ヶ月の入院で何が良くなったのだろうかと思います。

退院後支援は、周囲の為という以前に本人のブレーキの為に必要なのではないのでしょうか。

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まとめ

事件の舞台となった相模原の知的障害者施設・津久井やまゆり園は、現在取り壊しが進められており、元の場所と他の場所にも分散させて、小規模施設として再建する予定になっています。

心の闇は誰にでもあるものですが、心で何を思ってもそれは個人の自由で、そのまま行動に移すこととは大きく異なります。

植松聖被告も、一度は職員として真面目に仕事を継続してきたのに、どうしてもこれほどまでに施設に執着しなければならなかったのか。

入所者にとっても、職員として信頼していた男が犯人だったというショックははかり知れず、本当にひどい事件だったと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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