アラフィフジプシーナースのブログ

夫のDVの被害者だった私が離婚を決意するまでの体験談

2018/11/26
 
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最近は、DVという言葉で表現できるようになってきましたが、私の時代にはそういう言葉すらありませんでした。

被害者であったはずの私は、相手の豹変ぶりにただ戸惑いながらも、離婚を決意するまでは相手を決定的に嫌いにはなれないという不思議な感情で過ごしていました。

これはとても個人的な体験談ですが、どなたかの参考になればと思って書きました。

よろしければお付き合い下さい。

 

DVまでのプロローグ

私は、高校を卒業して1年ほど働いた後、学生時代からの交際相手と結婚しました。

私もまだ若いというより子供であり、若気の至りと言ってしまえばそうかもしれません。

当時、私は親との折り合いが悪く、家を出たい気持ちが強かったので、結婚はまさに「渡りに船」(後にカウンセリングでこのように表現され、とても納得がいきました)だったかもしれません。

元夫とは2年近く交際期間があり、その期間は優しいという一言に尽きるほど、私の言うことを何でも叶えようとするような人でした。

私には、卒業後の夢というか勉強したいことがあったのですが、それが親とのいさかいの一因でもあり、そのことについて元夫は頭ごなしに「そんな勉強は必要ない。おまえは主婦になって家にいて欲しい」というスタンスでした。

今思えば、私の話など聞いていないし私という個人を尊重しない、ただ独占欲を満たしたいだけだったのでしょう。

「給料日は決まっていない」を信じた私

結婚しても、生活をどのように切り盛りしていけばよいのかもよくわからないほど、私は未熟でした。

でも最初に、元夫は私に「自分が支払い物(家賃や光熱費など)は管理するから何もしなくていい」と言いました。

それを私は優しさと受け止め、金銭管理を全て彼に任せました。

これが経済的DVの始まりであると思いもしませんでした。

そして、私にはその都度「買い物代」など2000円ほどを渡します。

それはまとまった金額ではなく、いちいち言わないともらえません。

いったい給料の総額がどのくらいあって、私はどのような経済のスケジュールを立てればいいのかさっぱりわかりません。

給料日はいつなのかと尋ねたら、「給料日は決まっていない。営業職なので分割で入る」と答えたのです。(正社員なのに)

そしてあろうことか、私はそれを疑いもせずに信じました。

 

《DVの種類》

1身体的暴力 2 精神的暴力 3 性的暴力 4 経済的暴力 5 社会的暴力 6 子ども利用した暴力

《経済的暴力とは》

  • 生活費を渡さない
  • 外で働くことを妨害する
  • 洋服などを買わせない
  • 家計を厳しく管理する
  • 家庭の収入について何も教えない上に使わせない
  • 妻の収入や貯金を勝手に使う
  • 借金を負わせる

出典元 杏林大学医学部法医学教室http://sakurasou.holy.jp/dv1.pdf

経済的DV・私は働こうとした

元夫は、やがて私に渡すお金を渋るようになりました。

今はないから3日後、というように誤魔化すようになってきました。

約束の3日後になったらまた誤魔化して、結局、なかなかもらえないのです。

私に手持ちのお金はないので買い物には行けません。

2000円ほどもらっても、今度はそれをいつまで残せばいいかもわからないので、不安です。

それで、自分がパートか何かで働こうと考えました。

それを元夫に相談すると、案の定すかさず却下されました。

私には相変わらず家にいるように、と言います。

手持ちのお金がないので、友達と外で会うことさえできませんでした。

その頃、元夫は毎晩飲み歩き、ギャンブルにのめり込んでいたようです。

そんなことと想像もせず、朝帰りさえも「仕事が遅くなって大変」という理由をそのまま信じていました。

借金地獄と身体的DV

冷蔵庫の中はいつも空に近く、折り合いが悪かったはずの母からの差し入れでやりくりしていました。

母はすでに怪訝に思っていたようですが、私は元夫をかばっていました。

やがて、電気やガスの支払いがされてなく、止められるという事態が起こるようになります。

家賃と光熱費は元夫に任せていたはずなのに。

当時は携帯電話などなく、固定電話がありましたが、それが一番に止められました。

家賃も実は何ヶ月も滞納していたことが後にわかりました。

元夫は「うっかり忘れていた。今日払う」などと嘘をついて家に帰らず、私は電気を止められた真っ暗な部屋でただ帰りを待ち、心細くてたまりませんでした。

状況がおかしいと感じ始めた頃、元夫が私に「実はこれだけ借金がある」と打ち明けました。

当時は消費者金融の金利規制もなく、サラ金地獄で一家心中などが問題になっていて、自分がまさにその崖っぷちにいることを知り、ショックでした。

その借金はギャンブルで負けが続いた結果であるとのことでした。

私が20歳になる日を待っていた

元夫が私に打ち明けたのは楽になりたかったのかと思ったら、もう一つ目的がありました。

私が20歳になるのを元夫は待っていました。

「20歳になったら金が借りられる」

抵抗する私を殴り、無理やり引きずるようにして私を消費者金融に連れて行きました。

医師は言った・「ご主人を訴えますか?」

ある日、飲酒して帰ってきた元夫に殴る蹴るのDVを受け、夜中に熱が出ました。

元夫は私を心配し、病院に連れて行きました。

DVのサイクルにはハネムーン期と呼ばれるものがあり、自分が傷めつけておいて急に優しくなり、泣いて謝る、すがるなどの行動が見られます。

そして被害者は、自分を傷つけた相手に同情したり愛しく思ったりするのだそうです。

検査の結果、幸い骨折などはなかったのですが、診察室で医師と看護師に囲まれて聞かれました。

「ご主人を訴えますか?被害届を出しますか?」

今考えたら、これをDVと気づき、配偶者を排除して被害者の私に意思確認をした医療スタッフは、本当に素晴らしい対応だったと思います。

しかしその時、私はまだ被害者の自覚がなく、自分の配偶者を訴えるなんてとんでもないと答えていました。

決別できるのなら何もいらないという覚悟

顏の皮下出血も薄れた頃、私は元夫に内緒で仕事を探し始めました。

私の両親には殴ったことを内緒にしてほしかったようですが、会わないのは不自然で、あざのある顏は隠すことができません。

結局、私の両親に元夫は土下座で謝りました。

そして、私の頭は次第に冷静になっていきました。

酔って暴力をふるいながら私に吐いた言葉を私はしっかり覚えていました。

「お前は俺のもの。俺が死ねと言ったらお前は死ね」

あんたなんかに殺されてたまるもんかと私は咄嗟に思ったのです。

私に対しては支配欲以外の何でもないということに私は気づいたのです。

私は、手っ取り早い水商売の仕事を探し、ラウンジで働き始めました。

そして元夫の神経を逆撫でしないように、正論を全て飲み込んでなだめることに集中しました。

今は暮らしを立て直すのにお金が必要だから、一緒に頑張るから、あなたの為に、と。

下手に逆らって怪我させられたら仕事に行けなくなります。

嫉妬で文句が続きましたが、私が働いて持ち帰った初めての給料を元夫は全部私から奪い取りました。

私は、自分の仕事を持つことに成功し、自信が持てるようになりました。

私は大丈夫だ、離婚しよう。

慰謝料は無理だろう、それどころか私名義にされた借金まであるわけです。

それでも、何もいらないからこの人と離れることが先決。

この人と離婚しなければ明日はない、絶対に離婚しようと心に誓いました。

私は実家に戻り、何だかんだと理由をつけて元夫のところには帰らず、そのまま別居期間を伸ばし続けました。

そして、その間に相手の親に話に加わってもらい、私の親が説得し、離婚という形にたどり着きました。

まとめ

私の結婚期間は2年足らずのものでした。

もうずいぶん昔のことなのにこういう記憶はなかなか薄れない一方、幸せだった記憶はあまり思い出せないのです。

結果として、元夫は私を支配することができませんでした。

でもこの体験は、私の人生から結婚という文字を永遠に削除してしまいました。

続きはまた別の機会に。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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