アラフィフジプシーナースのブログ

輪廻転生・前世はあるのか?現世に生まれて生きる意味は何?

2018/11/26
 
この記事を書いている人 - WRITER -

突然ですが、あなたは生まれ変わり、輪廻転生を信じていますか?

来世や前世はあるのか?自分が生まれてきて、現世に生きる意味は何?

あ、宗教の話とかではありません。

私は特に信心深いわけでもなく、どちらかと言えば普段はこのようなスピリチュアルなことに疎い方です。

それなのに不思議なことに、輪廻転生を信じています。

今回は私が普段から考えている話をツラツラと綴りますので、お時間ある方はお付き合い下さいね(^-^)

 

漠然と輪廻転生を信じています

私は、神社やお寺に行けば手を合わせますし、神や仏を全く信じていないというわけではありませんが、そういうことにあまり依存する気持ちはなくて、どちらかと言えばドライな方だと思います。

 

私はお墓も必要ないと思っているし、引き取り手のない無縁仏になっても、どうせ本人は何もわからないんですから全然かまわないと思っています。(独身ですのでおそらくそうなるのではないかと思います)

でもそれは決して寂しい考え方だとか悲観的だとかいうことではありません。

命あるもの、亡くなればその肉体は「無」になると捉えています。

 

でも、人によって価値観は様々です。

どんなお墓で、誰と一緒に入るのがいいとか悪いとか、どんな供養がいいとか悪いとか、やはりそのようなことを重要と考える人もいるし、違っていて当然だと思います。

時々、そういうタイプの人から、先祖を大事にとか、投げやりにならずに信心しなさいとか諭されることもありますが(^-^;

私自身は、投げやりになっているわけではなく、たまたま「家族」という縁の薄い生まれであることや、先祖代々というようなしきたりに関わる機会もなかったこと、そんな環境もひっくるめてのこのような価値観なのだと思います。

 

こんな私なのですが、輪廻転生はあると思っています。

魂は、前世、現世、来世を通じて永遠の存在であると思っています。

現世の私は私として今の身体で生きている。

でもそれは刹那的であり、現世は諸行無常である、と。

ちょっと宗教じみていますが、表現を借りただけで、宗教的な教えについては私は無知です。

 

魂だけは永遠に変わらない、そしてこれが私の本質であると思っています。

 

前世の自分・私は誰なのか?

前世の自分は何をしていて、どんな人だったのか?

あなたが輪廻転生を信じているとしたら、そんなことも考えることがあるのではないかと思います。

スピリチュアルな世界では、前世を知ることもできる診断とか、前世を蘇らせるセッションとかあるようです。

つまり、催眠療法のようなもの?で前世の記憶を引き出す「前世療法」というものもあるようです。

 

あなたはそれを試してみたいと思いますか?

 

私は、自分の前世を知ることにそこまでの執着はないのですよね。

そりゃ何かの拍子にそんなことがひょっこりとわかったら、それも面白いかもしれませんが。

前世が誰であっても、私は私でしかないのです。

私は現世で生きている、私が認識できる自分は、今ここに生きている自分の他にありません。

 

もしも現世というところが、よく言われる「修行の場」であるとするなら、私にも前世で何かし残したことがあり、必要だから今があるのでしょう。

それが足りない私として、私はここに存在しているのです。

 

現世で与えられた課題・生きる意味は何?

人は、生きていれば、辛いことが必ずあります。

そんな時に「何で生きているのだろう?」「生きる意味は何なのだろう?」と自分に問いかけたことはないですか?

私も、辛いことが大波小波で襲ってきて、もう自分の心がもたない、生きて行くことに自信がないと思うことは何度もありました。

 

↓このあたりを読んで頂ければ、参考になります♪

 

*参考記事

看護師も心を病む うつ病は他人事じゃない 私の症状はこうでした

夫のDVの被害者だった私が離婚を決意するまでの体験談

離婚後もDVの記憶はトラウマになる 私が苦しかった症状とは

DVのトラウマを克服する方法 抜け出そうとした私が試した事

 

1つ乗り越えたと思ったら、次の山が目の前にある、いつもそんな感じでした。

何で私はこんなに苦しい目に合わなくてはいけないのだろう?

私がいったい何をしたというのだろう?

 

物心ついた頃から、家庭的な問題にも翻弄されていた私は、自分の現実と向き合うたびに、この世に生まれたことが不幸だったのだと思っていました。

だから、その頃は、この世から消えたいという思いをいつも抱えていました。

 

私は、世の中には信じてもよいものは何もないと考えていたし、誰と過ごそうが本当の私は殻の中にいて、孤独から抜けることができませんでした。

 

だからこそ生きづらさもあったのでしょう。

だけど、それが私であり、それ以外の私を知ることもなく、それが全てだったのです。

 

ある時から、そんな私の人生にも生きる意味があると考えるようになりました。

私が受けたカウンセリングがきっかけですが、カウンセラーが教えてくれるわけではありません。

カウンセリングは、殻の中で混乱している自分の心を紐解いて、整理することを教えてくれました。

それと、ある人との出逢い・・・これはまた別の記事にします。

 

出逢う相手とは、出逢うべくして出逢うものだと思っています。

恋人とか異性に限った話ではなく、もちろんそれも含めた出逢い全て。

たとえ嫌いな相手であっても。

袖振り合うも他生の縁という言葉、まさにそのとおりだと思っています。

 

そして、それは全て何らかの課題を持って自分の前に現れるのです。

生きる意味はその課題にあるのです。

 

越えられない課題は本当にないのか?

試練にさらされた時、人はこのような言葉を使います。

「(本人にとって)越えられない課題はない」

本当に越えられない課題はないのでしょうか?

あまりに辛いことだから、こんなふうに言わなければとても耐えられない、そこから生まれた言葉ではないのか?

 

生きる意味もわからなくなるような厳しい課題なんて、ありがたいとも思わないし、何もなければそれがよいに決まっています。

順風満帆で幸せな人生だったら、それに越したことはないのですから。

 

だけど、それはあくまでも自分基準にすぎないのです。

越えられないほど辛いと感じる課題は、人によって全く異なります。

貧乏で日々の暮らしに追い詰められる人も治らない病気で苦しむ人も、どちらも本人にしかわからない辛さにさらされているのです。

そして、人を見て羨ましいと思う。

現実から逃げたい、逃げようと思う。

 

逃げることができるのなら、逃げてもいいけれど、自分がパスした課題は、姿を変えてまた自分の前に表れるものと私は感じています。

クリアするまで、クリアできるまで、違う形で同じ課題と遭遇する。

 

それが私という魂の訓練であり、現世を生きる意味なのではないかと、私は考えています。

 

まとめ

このようなことを話し始めると、とりとめがなくなってしまいますが、一度、文章に残したいと思っていました。

また別の記事にして、少しずつまとめていこうと思っています。

このブログはほとんど読まれない上に、私のそんな話、誰も興味ないかもしれませんが、私の備忘録としても書きたかったのです(^-^)

最後までお読み頂いてありがとうございました。

*おすすめ記事

長男を檻に25年監禁し逮捕 精神病の子供を持つ親の苦悩

 

スポンサーリンク

この記事を書いている人 - WRITER -

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright© ゆるしいろふわり , 2018 All Rights Reserved.

テキストのコピーはできません。