アラフィフジプシーナースのブログ

看護師なら避けることはできない看取り・人の死はやっぱり辛い

2018/11/26
 
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こんにちは。ゆきのです。

看護師の仕事は肉体的にも精神的にもハードで、辛いこともたくさんあります。

その辛いことの中には「人の死に立ち会わなければならない」ということもあります。

人の死に遭遇することなんて、普通なら一生の中でも数えるほどしかないものです。

でも看護師にとって看取りは重要な役割のひとつです。

今日は人の死という真面目なテーマですが、良かったらお付き合い下さいね(^-^)

 

臨床実習で学んだ・看護師が人の死に遭遇することは避けられない現実

それはもう大昔の話になりますが、私が看護学生で、おそらく臨床実習にデビューした頃の話だったと思います。

私は若い時に結婚に失敗しているので、看護学校にたどり着いたのはさまざまな紆余曲折の後です。

だからストレートに看護師を目指した人よりも少しお姉さんでした。

それなりに苦労もしてきたので、ちょっと世間慣れしていてクール、言い方を変えればフレッシュさに欠けた学生だったかもしれません。

それでも、この時の出来事は今でもよく覚えています。

 

実習で患者さんを受け持つということ

 

私達の実習の間は、共に行動する基本的なペア、またはグループで臨床に出るシステムでした。

その時、私の相方になった彼女は、ピュアで裏表のない本当に優しい人でした。

実習先ではそれぞれが自分の受け持ち患者さんを決めてもらいます。

そしてその患者さんについての看護計画を展開していきます。

相方の受け持ちは、高齢の女性でした。

元気そうに見えたその方は末期の患者さんでした。

 

受け持ち患者さんとは、その方の性格もあるし相性もあるものです。

患者さん側は、もちろん学生の受け入れをいつでも拒否できます。

そして、仮に拒否しなくても、必ずしも看護学生ウエルカムではないと思います。

どう関わったらいいのか、きっかけをつかめるまで難しいこともあります。

私は、ずっと口を聞いてもらえない不機嫌(に見えた)患者さんを担当しすごく辛かったこともあります。

でも、これでいいのかと悩みながら密に顏を合わせているうちに、そこには何らかの人間関係が生まれるものなのです。

 

私達は看護学生であっても患者さんには担当の看護師である

 

その病棟での実習も後半を過ぎた頃、相方の受け持ち患者さんが急変されました。

朝、いつものように病棟に上がったら、その部屋からはモニターの音が響いていました。

スタッフが頻繁に出入りし、いつもと様子が違い、張り詰めた雰囲気が漂っていました。

その患者さんは危篤状態した。ご家族も到着していました。

その事態がようやく飲み込めた相方は、廊下で泣き出してしまいました。

私も、他の学生も戸惑い、みんなで茫然とただ立ちすくんでいました。

そこに学生指導の病棟看護師がやって来て、相方に言ったのです。

「あなたは受け持ちなのだから泣いている場合ではない。最後まで患者さんのことをしなさい。そしてちゃんと看取りをしなさい」

これにはいろんな意見があるかもしれません。

動揺した学生は一旦遠ざけるべきという指導者もいるかもしれないです。

指導者によって違う考え方、違う対応があるかもしれません。

なので、正しかったかどうかは、あえて検討しないことにします。

「できません!私には見れない」相方はますます泣きながら拒否しました。

しかし、その指導看護師は説得を続けます。

「逃げてはだめ。あなたは看護師なのですよ。看護師とはそういう仕事です。」

相方はやがて納得がいったのか、涙をぬぐってその看護師について行きました。

その指導看護師は、はっきり言ってとっつきやすい人でも優しい笑顔の人でもなかったです。

でも患者さんに対しては、私達に見せることのない優しい顏で細やかなケアをしている、とても良い看護師だったと思います。

そして私はその出来事によって、改めて、看護師は厳しい仕事なのだと意識したと記憶しています。

 

人の死に慣れることも必要・それは慣れ合いとは違う

人の死が常に近くにある看護師の仕事は特殊です。

ただ、勤務先によって違いもあります。

たとえば外来だけのクリニック勤務だと、人の死に遭遇することはないと言えます。

でも入院患者さんを抱えていればどこの部署でも条件は同じで、救急などに至ってはもう看取りではなく、搬入された人が生きているか死んでいるかというような修羅場になります。

 

看護師は、人の死に遭遇するたびに気持ちが動揺するようでは、自分が疲労してしまって続かないと思います。

それに、フラットな状態を保っていられなければ間違いだって起こるかもしれません。

何があってもミスは許されないのです。

 

見取りは看護師の業務の1つ、そう割り切って取り組む方が冷静でいられます。

ある意味、人の死に慣れなければいけない。

私達は資格を持ったプロなので。

だからそれが人の死であって、辛くても、プロとして仕事に真摯に向かい合う必要があるのです。

いつまで経っても看取りに慣れない、人の死に慣れることができない、感情的な部分ではそうかもしれないけど、それではだめなのです。

看護師という専門職なのだから、それも慣れなければいけないことと思います。

 

人の死は人生の数だけある

人の死に同じものはないです。

もちろん同じような症例はたくさんあります。

だけど、病気や経過が同じでも、その人の死はその人だけのオリジナルであって、

たった1つしかない人生のたった1つの最期の時なのですよね。

 

家族が入れ代わり立ち代わりで、大勢に見守られて穏やかに亡くなる人もいます。

誰ひとり来ることもなく、ポツンと静かに死んでいく人もいます。

疎遠になっているらしい親族に、状態が良くないと連絡したら、

本当に死ぬまでは連絡いらないと言われたこともあります。

それでも連絡先になってくれるだけ、まだましと言えるのですよね。

それまで本人がどんな生き方をして、家族ともどう関わってきた人なのか、

私達にはわからないので、誰を責めることもできないです。

 

私は救急で仕事をしていたことがあるのですが、救急は自殺の患者さんも多いです。

ある日、高齢の女性が睡眠薬を大量に服用して自殺を図り、運ばれて来ました。

服薬自殺には完全に失敗していて、意識もしっかりしていました。

驚いたのは、その人は薬を飲む前に首も吊っていたようだということです。

首に跡が残っていて、医師がその人に確認をしました。

その人は、静かにそれを認めました。

首を吊ったが紐が切れて失敗した、それで手首を切ったが深く切れなかった、そして薬を飲んだ、でも私は助けられた、何をしても死ねない、と。

そしてわかったのは、その人が癌の末期であるということです。

もう、何とも言えない、切ない気持でいっぱいになりました。

何故死のうとしたのか?死を待つのが恐くて辛かったのか・・・?

人は簡単に死んでしまう・・・でも簡単には死なない・・・。

そこでの勤務では、命の矛盾みたいなものをいつも感じていました。

 

最期に立ち会う看護師にしかできないこと

看護師には、看取りが続くようなことも普通にあるので、次は誰だろうかとか、どの勤務だろうかとか、そんなことも考えます。

看取りがあると、その日の業務も忙しくなって滞るのは現実なので、できたら当たりたくないなというのが看護師の本音です。

他にも状態の悪い患者さんがいると、あっちもこっちも緊張感が必要なのです。

だけど、自分が当たるかもしれない・・という覚悟もひそかにしています。

単純に看取りは仕事としても辛いのです。

でも患者さんの方にしてみると、それはこの世に生まれ生きてきたことの締めくくりの時。

最期に誰に何をしてもらったのかは、その魂にとって、とても大事なことじゃないのかなと。

意識があるとかわからないとか関係なしに。

人の最期に自分が立ち会うという縁は、考えてみるとすごい確率なのだと思います。

何の関係もなかった人なのに、人生のそこだけにリンクして、1番近い場所に立つのですから。

何と言いますか・・そういう役割を持ったことを忘れないようにしたいとか、考えるのです。

 

まとめ

看護師が必ず遭遇する「人の死」について、考えていることを書いてみました。

でも、これでは書き足りないような、まだ書きたいのですが、なかなかまとまらないので、しっくりくる言葉が見つかったらまた書くことにします。

看取りは、遭遇せずに済むならできればあまり遭遇したくない、少なくとも私はそれが本音です。

だけど自分が人の最期に立ち会う時には、その縁に心を尽くすことができる、余裕のある自分でいたいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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