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西城秀樹さん63歳で他界・2度の脳梗塞を闘い続けたスター 

社会・メディア
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今日の昼のワイドショーのさなか、突然訃報が流れました。

西城秀樹さんが亡くなったと。

信じられなかったです。

2度の脳梗塞で後遺症が残り、ずっと闘病されていることは知っていましたが、西城秀樹さんは死のイメージとは結びつきませんでした。

私が物心ついた頃、好きになった芸能人の第一号が西城秀樹さんでした。

とても悲しいです。

 

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2018年5月16日西城秀樹さん永眠

西城秀樹さん、4月25日から横浜の病院に入院されていたのですね。

その日、自宅で意識を失い、病院に搬入時は心肺停止だったとのこと。

蘇生はできたものの意識は戻らぬままだったそうです。

おそらく人工呼吸器が装着されている状態だったのではないかと想像します。

そして5月16日23時53分、病院にて、静かに亡くなられたとのことです。

最期まで、生きようとして闘っていたのでしょう。

死因は急性心不全と発表されています。

脳梗塞を再発する病状だったので、心臓血管系も脆くなっていたのかもしれません。

享年63歳。

テレビで見かける西城秀樹さんは、体は思うように動かなくなったものの、とても前向きで生きる意欲に満ちていました。

もうあの姿も見られないのかと思うと残念です。

 

脳梗塞で闘病の17年間・諦めることはなかった

西城秀樹さんは、若い頃、スポーツ万能でとても健康的に見えました。

闘病が似合わないくらいはつらつとされていました。

でも、2003年、一回目の脳梗塞を発症します。

この時、西城秀樹さんはまだ48歳です。

ディナーショーで訪れていた韓国で、ろれつが回らない、左の頬が下がっている、という典型的と言える症状で発症します。

 

左の頬が下がるということは、左側に麻痺が現れ始めていたと考えられます。

急いで帰国し、受診するとそのまま入院、ラクナ梗塞と診断されたそうです。

ラクナ梗塞は、脳梗塞でも多いタイプのものです。

これには高血圧が誘因になりますが、西城秀樹さんも血圧が高かったのかもしれないですね。

ストイックなトレーニングをされているようでしたが、一方でかなりヘビースモーカーでした。

一日4箱も喫煙していたそうで、それは血管系の病気の大きなリスクになります。

 

それに、ジムでも体から水分を抜くということにこだわりもあったようです。

トレーニングの後はサウナ、水分の補給はしない。

そんな方法で急激に体重を落としたりされていたそうです。

これは間違っていて、血液はますますドロドロになり滞って、血栓を作り血管が詰まりやすくなります。

西城秀樹さんも、病気のあとにそのことに改めて気が付いたと話されています。

 

2度目の脳梗塞で半身麻痺に

西城秀樹さんは、病気をされるほんの少し前に結婚されています。

奥様は18歳くらい年が下の女性だったと思います。

2001年に結婚され、翌年にご長女が生まれ、まだご長女が1歳の時に西城秀樹さんの一回目の脳梗塞発症でした。

結婚されていて支えになる女性がいて本当に良かったですが、その時、奥様は妊娠7ヶ月、ご長男がおなかの中にいて奥様も不安だったことでしょう。

 

一回目では後遺症もなく、無事に乗り越えたと思っていたのに、2011年暮れに脳梗塞の再発です。

この時、症状は重く、右片麻痺が後遺症として残ってしまいました。

絶望感に包まれ、しかも病院では他の患者さんと一緒にリハビリするわけですから屈辱感もあり、うつ状態にも陥ったそうです。

 

でも、西城さんは元々前向きで努力の人。

リハビリ室で他の患者さんの闘う姿を見ることで、自分の弱さもひっくるめて今のありのままの自分の姿を認めることができるようになったとのこと。

病気で、それまでの価値観も大きく変わったと話されています。

 

そして、そのありのままの姿で私達の前にも出て来られるようになったのです。

西城秀樹さんのリハビリの様子、テレビでも拝見したことがあります。

カッコイイ自分でいることが自分の使命であるという価値観から、ありのままの姿を見てもらうことが使命であるという価値観へ。

自分はリハビリを必死で頑張り、それを見せることが誰かの役に立つと考えるようになったのです。

 

私が知っていた昔の西城秀樹さんとは違う。

でも、その姿に私は胸を打たれました。

 

ヒット曲は数々ある!ヤングマンだけではない

西城秀樹さんは、広島県出身でお兄さんがいらっしゃいます。

ジャズ喫茶でバンド演奏していた時にスカウトされて1972年にデビュー。

やがて新御三家として野口五郎さん、郷ひろみさんと共に有名になりました。

テレビドラマにも出演されていましたし、映画出演もされました。

本当に黄色い声援が飛び交う、その時代のスターだったです。

私も、子供ながらに映画「愛と誠」のポスターを部屋に貼り、雑誌の切り抜きとかたくさん持っていました。

ちびまる子ちゃんのアニメで、まるちゃんのお姉さんがヒデキファンという設定で、普段からヒデキヒデキ言っててアニメにもヒデキキャラが登場し、再び注目を浴びたようですね。

当時はまるちゃんのお姉さんみたいな人、たくさんいたのです。

バーモンドカレーのCMは、下の世代でご存じの方も多いのでは?

西城秀樹さんと言えばヤングマンが有名なヒット曲ですので、それがクローズアップされることが多いですが、ヒット曲も本当にたくさんあります。

テンポのいい曲もバラードもちゃんと歌える、踊れる、ワイルドでセクシーな完璧なスターでした。

出典元 https://www.youtube.com/watch?v=8VjS-c0m5Vg

まとめ

西城秀樹さんが他界されたこと、まだ現実感がありません。

またリハビリしている姿を見れるかな?と思っていました。

ポジティブで気さくで笑いのセンスもあった、昔の私の憧れだったスターはずっと心の中に。

ご冥福をお祈りいたします。

西城秀樹さん、永遠に。

 

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