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DVの記憶で私が悩んだ症状 解決には自己肯定感が必要

心と体と美しさ
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私は元夫のDVを理由に離婚しました。

でも逃げ出せたとしてもこのような経験はトラウマになり、自分に付きまとう苦しい症状がその後の生きづらさにもなります。

逃げたことは我慢が足りなかった、自分が悪かったような後ろめたさもあります。

そして、DVに遭った私を人はどう見ているのか、周囲のジャッジも恐かったです。

今回はその体験を綴ってみます。

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DV離婚して水商売を本業にする

私の結婚生活は、経済的にも破綻していたので、私は勝手に水商売で働き始めたのでした。

何とか収入を得る手段を身に付け、離婚することだけを目指しました。

下手に争わないためにも元夫には何も求めないことを決めていました。

結果的に借金を背負う羽目になっても、一緒にいれば殺されるという危機感があるのでとにかく早く縁を切りたかったです。

その後のことは自分で何とかしようと覚悟していました。

そして離婚し本格的にホステス業に専念します。

ど素人でも、20歳そこそこの若さは夜の世界では十分な魅力でした。

ただ、難点はお酒が飲めないことだったのです。

そんな条件では、こじんまりした店では露骨に嫌がられそうだし、店の売り上げ協力で飲む必要があるなら私は務まりません。

だからクラブを選びました。

クラブは、自分のお客様を持てばそれで良いし頑張れば高い給料も望めるシステムです。

店に出られるような衣装も持ち合わせていないので、最初は分割払いで数着のドレスを購入しそれでローテーションしました。

そのうち面倒見の良い先輩方が、私に似合いそうなお下がりのドレスを譲ってくれたりして、衣装は少しずつ増えました。

メイクやヘア、靴やドレスコードなどの決まり事、水割りの作り方、グラスの持ち方、美しく見える座り方、立ち方など、クラブでのマナー研修も受けました。

お店が反物をくれたので着物に仕立ててもらい、着物の日には一式持って大ママの所に行き、着付けをしてもらいました。

お店はいくつか変わったのですが、離婚後から長く働いた店は、界隈でも品がよく、良心的で本格的なクラブでした。

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私には居場所がない

別居から離婚へと段階を踏む為に、私は一旦実家に戻りました。

でも、元々家族とは折り合いが悪くて肩身の狭い状態だったので、これ以上甘えてはいられません。

そんな私にお店の先輩ホステスが、自分のマンションで間借りさせてあげるよと声をかけてくれました。

私はそれに甘えて彼女のマンションに転がり込んだのです。

そしてルームメイトに騙される

彼女のマンションの一部屋に住むようになってしばらくして、もらったばかりで封筒に入ったままの給料(現金支給)がなくなりました。

私は、部屋に空き巣が入ったと大騒ぎしました。

でも先輩ホステスは慌てることもなく、自分には何も被害はないので大したことはない、警察沙汰にしてもこれでは無駄だと言うのです。

後で考えればそんな言い方も十分おかしいのですが、私の強い希望で警察に連絡してもらいました。

警察が来て、どうやら外から入った形跡はないとのこと。

だけど彼女が怪しいことと結びつかず、私には謎でしかありません。

私は、彼女を疑うことも思いつかないほど愚かでした。

数日後、いきなり店に柄の悪い男が「今月分の部屋代と経費を払え」と私を訪ねてやって来ました。

その男には見覚えがありました。

先輩ホステスの知人でマンションに来ているのを見たこともあり、集金は彼女に頼まれたのだと言います。

そして今払えないなら部屋を出ていけと言われました。

その時に初めて、私の給料を丸ごと盗んだのは彼女とその男に違いないとピンときました。

私は再び居場所を失い、いろいろな人の家を泊まり歩きました。

一晩を過ごせたらどこでもよく、人の車の中だったこともありまさにホームレスです。

そして体調を崩し高熱を出して、もう実家に戻るしかなくなりました。

消費者金融からのしつこい電話

実家には消費者金融からの元夫の借金の取り立て電話が頻繁にあり、離婚したと説明しても無視して家にも来ました。

今では、行き過ぎる取り立て行為も取り締まりの対象になりましたが、当時は大手の金融もまるで闇金のような脅迫を平気でしていました。

両親からは私のせいで迷惑だと責められ針のむしろでした。

友人に言われた言葉にショックを受ける

離婚して元夫の束縛から解放され、学生時代の友人と自由に関われるようになりました。

友人の一人が、ある日、今度男女で遊びに行く時に私のことも誘ってあげると言ってくれました。

「でも水商売の人は仲間に紹介できない、変な人と思われるのでちゃんとした仕事に変わったらね」という条件付きでした。

そうか、同じ高校というカテゴリーがなくなったら、私達はそんなに世界が違うのかと思い知らされました。

その後この友人とは一切関わりを持たずに今に至ります。

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私を苦しめるPTSDの症状

私は少しでもいい給料を手に入れようと必死でしたが、一方でいろいろな症状に苦しめられます。

ちょうど不登校のような症状もありました。

出勤しようとすると、動悸やめまいや腹痛の症状が出て、出勤途中で引き返さずにいられなくなり、店にはたどり着けないということも頻繁に起こるようになりました。

それを押して出勤しても、お客様と対面している時に動悸や冷や汗という症状が現れます。

その場から自由に逃げられない、そんなシチュエーションが苦痛でした。

そんな症状に襲われるのが恐くてよけいに動悸がしてきます。

対人や逃げられないというシチュエーションに不安や恐怖を覚える症状はDVが原因のPTSDだったと後で自覚しました。

DV経験が原因になったPTSD

トラウマ

命が脅かされるような肉体的、精神的な強いショックによって心に残る深い傷のこと

《原因になるもの》

自然災害・交通事故・事件の当事者・事件を目撃・性犯罪に遭う・DV

PTSD(心的外傷後ストレス障害)

トラウマにより様々な心身の不安定な症状が起こる状態

PTSDの有名な症状の1つに、フラッシュバックがあります。

トラウマと重なる出来事があると、突然過去の苦痛や恐怖の記憶が呼び起こされ、過呼吸や緊張などの症状が現れるのです。

私にはフラッシュバックの症状の自覚はなかったですが、狭い場所で人と向き合うと、追い詰められたような不安で緊張感を感じていたようです。

今はそれほど明らかな症状はないですが、やはり誰かと閉鎖空間にいる状況は苦手なようです。

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生きる為には自己肯定感を育てる

借金の目処が立ち、すっかりクラブのホステスらしくなって来た頃、この先をどうやって生き残るか考えるようになりました。

この世界は居心地の良さや面白さもあるけど、年を取ったらどうするか、目標が必要だと思ったのです。

昼間の仕事の方が安定できるかと思い就活もしてみました。

でも、何の資格も経験もない私はまるで相手にされませんでした。

何十件の求人に書類を提出したことでしょう。

時代背景もありますが、ひどい所になると「こんな若さでもう離婚しているのか。どんな相手なのか。後々会社に迷惑かけられても困る」と面接官に言われたこともありました。

私の中には無力感だけが育っていきました。

それを跳ね返すには、誰もが認めざるを得ないような需要のある資格を身に付け、バカにした人全部見返してやるしかない、そんな気持ちでたどり着いたのが看護師の資格でした。

私は昔から白衣の天使に憧れていたわけではありません。

でも、自立し社会的にも信用を得られる資格が私には必要でした。

生きていく為に私は看護師になったのです。

私は間違っていないという自信を取り戻すことは、不安定な心を支え、それが生きる勇気や強さになります。

自分を否定したままで生きるのは辛い。

生きて行く為には、自分を認める自己肯定感が必要です。

DVのコントロールから抜け出すには、自己肯定感を育てることが必要だと思います。

暴力を受けたあなたは悪くない。

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まとめ

私は、人生に無駄なことはないとは思っていますが、こんな目に遭わず、PTSDなど抱えない人生の方がもちろん良いに決まっています。

DVの経験なんて全く必要ないのです。

DVは自己否定の思考を植え付けます。

あなたがもし自己肯定感を持てないならば、何でもいいから自信を取り戻せるものを見つけて下さい。

そしてDVで傷ついた自分を労わり、自分を肯定して生きて下さい。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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